2011年5月30日月曜日

夜露死苦CAR

   ローカルの子供達を荷台に乗せて走るピックアップトラック。これは昔も今も変わらないサイパンの風景。地元の人達は子供が多い。だからそんな家族にはピックアップトラックが1番。ここは荷台に人が乗る事を許可されています。ただ乗る場所には厳しく、荷台の蓋といいますか・・その部分には絶対乗ってはいけないし、他にもあったような気がする・・・その場合は即、警察が追いかけてきます。見慣れたこのスタイル・・だけど、私の車を通過した1台のこのトラックだけは見逃せなかったのです。この車にはやたら日本語が・・・多分、ステッカーになっていると思います。写真では撮れなかったけど「大和魂」「最強」とかいろいろ・・・信号待ちで並び子供達に「写真撮らせて!」と窓から話すと「いいよぉ~」と気軽にOKをくれて。

   驚いたのは「夜露死苦」とゆう文字。日本でも廃墟の壁とか公園のトイレの壁とかにこうゆう当て文字書いてありますよね。凄いよ・・・と何故か感無量。でも意味分かって付けているのかな?と心配にもなる。

   でも私が1番気に入ったのは「超早い」とゆう文字。
信号が青になり、お互いの車が発進。このトラック、前に走っている車をゴボウ抜き。さすがに「超早い」ステッカーを貼っているだけの車でした。やっぱり意味分かっているかも?

2011年5月29日日曜日

買い物の楽しみ?

   写真に撮った時は見えたんですけど・・・
ごめんなさい。一番肝心なところがうまく見えない。このパッケージの「生姜」の左に縦書きで書かれている文字。
「カタテし健康の品質くし量ソミチ」
意味不明です。これはどうゆう事でしょうか?何でもかんでも日本語の3原語。カタカナ・ひらがな・漢字を並べれば日本を強調できると思いめちゃくちゃに入れたのか?

この食品。買う事はなかったのですが、お店に並べられたこれ・・・そのまま写真に撮って来ました。

だけど・・・これ写真で見ると「生姜」なんですけど。
気になるのは右側にある赤マルの中も文字・・・

なんで?なんで「新じゃが」なの?今まで見た中で1番いい加減で、1番笑って。1番この生産国を理解した商品でした。因みにこれ中国産です。

買い物をして、こうゆうのを見つけると楽しくなります。ちょっと切ない気もするけど。

2011年5月25日水曜日

自給自足

   家庭菜園なんてカッコいいもんではありません。サイパンの食生活事情は殆ど輸入に頼っています。ここ近年、労働意欲とゆうか積極的に労働をする姿勢の人達が増えて(特に中国人、フィリピン人)野菜を作って市場に出してくれています。お陰で、サイパンに来た頃よりも野菜の種は増えたし、安く手に入る野菜も増えました。

   ここは戦争時、爆撃によって地下水路が破壊され海水が混じるようになり、農作物の栽培は不可能に近い土壌だったはず・・・でも島のある部分は野菜が作れる場所がある。とゆう噂もありましたが、実際にこの島で野菜を作りだしているとゆう事は、土壌改良の技術はないにしても、強引にその土地で土を入れて栽培に成功をしたのか?偶然、苗を植えたらOKだったのか?分かりません。多分、後者じゃないかと思うのですが・・・

   今はガソリンが高く輸送費も高くなっているし、お店の冷蔵庫・冷凍庫の電気代も目玉が飛び出るぐらいに高い。それで営業を止めたお店もあるぐらい・・・だから消費者の手に届く頃は原価の2倍程度じゃなくて、倍の倍の倍の・・・って値段で売られるのは当然のお話。
昔は2ドルちょっとで買えたような気がする、アメリカからの「バジル」先日は目を疑う値段になっていました。6ドル近く。それも少しの束で・・・

   そんな時、日本を思い出します。毎年、6月になると待ちかねた日本への帰国。帰るとすぐに100円~200円の間で買えるバジルの苗を買い、大きな植木鉢に移して先の芽を切って、その部分を土にさし育てる。2・3本のバジルを10本程に増やし育てるのです。
梅雨が終わり、父が作る無農薬のトマトを畑で収穫をし、トマトとチーズを重ねてバジルを刻みオリーブオイルと塩を少しかけて食べる。去年、コガシラは畑のトマトの80%をこれで食い尽しました。

   今年は名古屋便の飛行機が飛ばないので、日本に帰る事を断念。飛行機代が浮いた分、6ドルのバジルを買い植えるか・・・サイパンもこれから完熟トマトのシーズンだし。
と思ってストアーに行ったら、ローカルバジルが1ドル50セントで売っていました。あと2パックしか残っていませんでした。すぐに購入。そのままホームセンターへ行き、腐葉土を買い植木鉢にバジルの先の芽をさしました。根がつくまで日陰において、スコールが必要な水を与えてくれる。日に日に成長しています。

   こうやって食料を増やす。サイパン経済が沈没寸前のこの島で、努力を続けて?います。でも過去に「さつまいも」を作った時、誰かに盗まれてしまいました。ピーマンを作った時、食べ頃になったのに、ネズミらしきものにかじられました。生きる為には必死なのは、人間もそうだけど、小動物もそうなんですね。

2011年5月11日水曜日

タイヤ修理の達人、実は・・

   今、サイパンの中で1番興味があるお店。
「OPEN」なのに窓が開いていない。しかもOPENはネオンじゃなく文字だし。それに横にある文字「OIL FOR SALE」って何の油なんだろう?サラダ油が売っている気配はない。しかもこのお店の横はガソリンスタンドだし。

   INTERNETって何?インターネットがこのお店で出来るんだろうか?GAMESって?ゲームソフトが売っているのかな?前にこのお店を見た時は、バナナを売っていたけど・・・・それにブルーの正方形の看板は受話器のマークがあり「PHONE」と書いてありますが、電話を使わせてくれるんだろうか?

   ここはたまに利用するタイヤ修理のおじさんのお店らしい。
「奥さんがやってるの?」とカシラに聞いたら「いや、あのおじさん奥さんいないよ。娘さんはいるけど」開いていたドアがありそこを見ると何やら台所のような場所(たたみ一畳分)からお店の中が見えたのでチラッと見ると時計等がショーケースの中にあり、壁にはギターが掛けてありました。まじめなお店だけど、何故か笑えてしまうのは何で?

   ここのおじさんは中国から来た人。タイヤ修理に関しては確かに腕がいいです。
釘を踏んでしまったら5ドルで確実に直してくれる。が・・やたら無駄口が多く、その英語はめちゃくちゃ強引で単語一直線って感じ。太鼓腹から出す声はめちゃくちゃ大きく、中国人は人との距離間を気にしないのか?やたら近づいて話してくる。何があってもめげない感じのおじさんです。このお店の横には自分で作ったであろう家がある。家と言ってもブロックを積んでトタン屋根を乗せただけの簡単な家。屋根と壁の間は隙間がある。前に行った時はおじさんシャワーをしていましたが、そのシャワーはお水のようです。作業の場所は船のコンテナを改造しているけど、このコンテナよりはるかに小さい家なのです。

   おじさんにタイヤの修理をお願いすると決まってタイヤのセールをしてくる。
「ジャパン タイヤ。ジャパン タイヤ・・・バイ」多分このバイは「BUY(買う)」って事なんだろう。「ノー。ノー」と言うと明らかにガッカリした態度をとってくる。

   先日私は釘を踏んでしまい、タイヤの空気が減っていてこのおじさんの所へ行きました。私はこのお店に行く時、いつもカシラにお願いするのです。1人で行くには勇気が必要なんです。おじさんはふと作業を途中で止めてしまいました。カシラに「カメラ、ピクチャー」と言って写真を撮る格好をしました。私達は「え?写真を撮って欲しいの?」と思い、聞いてみるとおじさんは「ピクチャー」と言って顔の前に手を持ってきて左右に振りました。「?」

   英語が得意でないおじさんだから、単語とジェスチャーで全てを理解させようとするから私は興味がある人だけど怖かったのです。おじさんは家の中に入り、随分と昔のデジカメを持ってきました。「フィッシング ミー ノー」「?????」(分からないよ、おじさん)
でもおじさんは根気よくこの単語を並べ続け、時には「ノー ミー フィッシング」と変えて何とか伝えようとしてくれる。でもその度に私達は「?????」ともっと混乱、そのうち錯乱。デジカメの写真を見ると魚が映っていました。「あぁ~これはおじさんが釣った魚なんだ」と思い「貴方が釣ったのね?」と聞くと「そうだ」と満足そう。でも「ピクチャー ノー」と言ったのです。「これ消すの?」「????」おじさんは英語が分からない。

   おじさんが唯一話せた英語は「ノー ピクチャーI don't know」だった。「きっと消し方が分からないんだ」しかしカシラが消してあげようとしてもバッテリーがなくなってしまいました。「チャージしなきゃダメだよ。コードはあるの?」と聞くとおじさんは「ない」とキッパリ答えました。不思議です。何処で買ったんだろう?かなり傷だらけの古いデジカメだったけど・・・それに画面は何だか分からないけど油がネッチョリ付いていました。

   おじさんはカシラに「ディス カメラ ユー 50ダラー」と言いました。売りたいんだな・・・カシラは笑いを堪え(体震えてるし)カメラのSDカードをチェックしました。でもSDカードはありませんでした。「SDカードは?」とおじさんに聞くと、何の事なのか?さっぱり分からなかったようで無言で笑って誤魔化していました。「いらない。SDカードないし」と言うとおじさんはまたガッカリを体全体で表現しました。

   (それより早くタイヤの修理してよ)暑い中、私はそう思っていました。おじさんはデジカメを家に入れて、今度はVHSCのカメラを持ってきました。今や時代はDVDだろ。
「ユー ディス カメラ 60ダラー」(またかよ!)「もう今はDVDだよ。テープを見る機械は家にもないし、要らないよ」と言いたいところだけど、おじさんには単語で答えた方がいい。「ノー」おじさんは「ディス カメラ チェンジ タイヤ ローカル ノーマネー 60ダラー」と言いました。もうおわかりですね?おじさん英語。「ローカルがタイヤを交換したいけど、現金がないからビデオとタイヤを交換した」とゆう事です。

   カシラに60ドルで売ろうとしたのですがカシラは「ノー60ダラー」と答えました。
そしてショッキングな事を言ったのです「これは20ドルぐらいでしか売れないよ」おじさんは「20ダラー」に反応して「ガッ!」と言いながら怪獣のように手を前に出し爪を立てるような格好をしました。愕然としたおじさん。それから力なくタイヤの修理をしてくれて、5ドル払いました。でも可哀そうだったので、隣のガソリンスタンドでアイスティーを買い、おじさんにあげました。そして仲良く3人で飲み私達は帰ったのです。

   でもタイヤと今じゃ使わないようなビデオカメラを交換してしまうおじさん。人がいいんだろうな・・・

2011年5月10日火曜日

なんでよ?

   「原発」こんな言葉があの震災から多く聞くようになって、原子力保安委員がいかにお飾りであったのか?とゆうのもよ~く分かった。ふと・・私の頭の中に過った事があります。

   私の実家は岐阜県土岐市。って山に囲まれた自然の多い場所。陶器業が盛んで小さい頃は町を流れる川は真っ白に濁っていました。陶器を作る工程の中で粘土質の濁水とか流すから・・・でも小学生の高学年頃かな?「川を綺麗に!」とゆうスローガンが挙げられ、中学に入学した頃は透明な川になり、橋の上から鯉が泳いでいるのも見えました。そんな場所に国立大学やら文部省絡みの「核融合施設」があります。山を開いて大きな敷地の中でそのプラントがあるんじゃないかな?私の記憶が間違っていなければ、この話しが出たのは小学低学年の頃じゃなかったかな?田舎の人達だし、祖父母も両親も「核」なんてよく分からないモノ。ただ戦争経験者として広島・長崎の原子爆弾を想像=怖いもの。ぐらいの知識しかなかったと思うんです。それはみんながそうだったと思うし・・・住民は建設に大反対したのも覚えています。でもどっちか先だったのか?分かりませんが、時同じ頃に「サファリパーク計画」もありました。小さい私としては核よりもライオンやトラが脱走した想定=怖い。とゆう認識があり、サファリパークができなきゃいいけど・・・・と思っていました。学校へ行く時、玄関開けたらライオンがいた。なんて想像すれば怖くて仕方がない。

   でも幾年かして、いつの間にか「核融合施設」が建設されてサファリパークの話しは何処へ?今思うと、サファリパーク建設は本来の目的を薄めるものとして存在したんじゃないのか?と、シャッフルされてしまったような。もしそうであるなら、ライオンやトラよりも国や政府の方が怖いな。と思うのでした。実際に「再臨界」なんて事の恐ろしさも今回の福島原発事故で知ったし。無知だけど、まだ「塩」を買う事は無かっただけマシかな?

   日本も大統領制にして国民直接投票にすれば、今よりはまともに仕事してくれる人がいるんだろうな・・・と考えてしまうのでした。でも今の首相、昔は血液製剤問題が起こった時に国民の為に働いてくれたのに、どうしちゃったんだろう?と思うのでした。

   早く「原発」が沈静化して東北の復興に全力が注げるような政治体制にして欲しいですね。そして日本経済も活性化してみんなが安心して母国を誇れるような日が来る事を願っています。海の向こうでは「テロ」問題も発生しています。日本政府、機敏に対処していゆかないと・・・足を引っ張りあい、責任を転換している場合じゃないだろ?と思うのでした。

2011年5月6日金曜日

強くならなきゃ

   3月から殆どブログを書いていません。

東北震災ニュースが次々を入っている頃、久しぶりの友人から連絡がありました。8年ぶりぐらいだったかな?彼女から連絡がある前にちょうど彼女の事を思い出していたから、連絡が来た時は本当に嬉しかった。すぐにメール返信をしました。彼女もまたすぐに返事をくれました。でもそんな喜びも束の間。2度目の彼女からの返信は彼女の「余命」だったのです。
延命治療は受けない。と・・・最初は「治療を受けて」と言ったのですが、彼女の意思を聞けば彼女の気持ちが分かったような気がしました。彼女の意思を尊重したい。そんな事も思いました。でも咄嗟だったから「今はそうかもしれない。でも明日、気持ちが変わるかもしれない。決めなくていい。今は決めなくていい」その場ではそんな事も言いました。

数日間、眠れない日が続きました。「この世に神も仏もないのか?」ありきたりな悲鳴をあげるしか出来なかった。被災地の方々・犠牲者の方々。そして彼女。得体の知れない怒りに腹を立てる。「私には神様がついている」と豪語する知人が頭に浮かびました。人には神懸かり的な話しをしたり、時には占星術を用いて不安に突き落とす人。何か彼女にまで怒りが飛び火してしまう。寝ていないとゆうのは恐ろしく攻撃的になるもんだと実感。

余命宣告を受けた彼女の事も含め「人生」とか「生きる」事を真剣に考えた。今までこんなに真剣に考えた事が無かった。真剣に考えたら慎重になった。慎重になったら冷静になった。彼女の延命治療拒否を受け入れてもいいんだろうか?不安にもなった。

いろいろ考えた2ヵ月でした。彼女は前向きに生きているのは事実なんだから。私はそんな彼女と知り合えた事を嬉しく思ったし、友人として彼女に誇りさえ感じている。彼女から教わった事は沢山あった。これからも彼女からまた沢山教わりそう・・・私も強くならなきゃ。