2011年1月28日金曜日

寒いっ!

   今日は午前9時でも気温が上がらず、寒いです。この時期はサイパンも季節風が吹き、肌寒さを感じますが、今日はやけに寒いです。半袖のTシャツの上から思わず、バスローブを着ています。靴下もはきました。暖が欲しいぐらいです。

   今気がつきましたが・・・我が家のエアコンには暖房機能がない。いえ、我が家だけではなく、サイパンの家中のエアコンには暖房機能がない。日本だと、クーラー・暖房へと切り替えできるんですよね・・・でも見てみると温度設定が30度まであるので、これでやるんだろうか?でもマジでやってみる気はしないけど。30度まで上げると、暖かい空気が出てくるんだろうか?素朴な疑問で、すぐできる事なのに、何故かやる気がしない。寒いから動きたくない。単純な理由。思い起こせば、幼い頃、冬の寒さに身を凍らせていると母親に「動けば暖かくなる!」とか言われて、箒を持たされた冬の朝。年中夏のサイパンに住んでいると、それも遠い記憶と遠い感覚になり、考えただけでもゾッとする。

   今日のサイパン、本当に寒い。そしてサイパンの経済も寒い。そして私の財布の中は極寒だ。全てにおいて「暖」が欲しい。特に私の財布は熱帯を望んでいる。それは遠い幻か?それとも儚い夢なのか?そう思うと心も寒い。あぁ~寒い。

2011年1月17日月曜日

自分の役目?

  















 また「月の写真かぁ~」でも今日は月の写真じゃなくて、サイパンの事実をお話したくて・・・サイパンは青い海と青い空=リゾート。でも今日はサイパンのその部分じゃなくて、知られていないサイパンの話をしたくて・・昨夜、見た風景が私が今感じているサイパンそのもののような気がしてこの写真を載せました。

   実話だけど、歴史上に記録されていない、人の心のお話です。私達家族にはサイパンで家族付き合いをさせてもらっている家族がいます。奥さんはアメリカ人・ご主人は地元の名士。子供達は3歳の頃から親友・・・この2週間程、週末は一緒に食事をしています。この間の土曜は家に来て一緒に食事をしました。一升瓶を抱えて来るご主人。ジュースとアイスクリームを持って来る奥さん。PCを持って来る子供(しかもデスクトップ)。子供はそのままお泊りコース。ビールと日本酒で宴会は夜中まで続きました。

   実はその時、いつも冗談ばかり言っているご主人が言葉を選びながら私達に話しました。それは誰も知らない実話でした。この島、サイパンは第二次世界大戦の激戦地。多くの日本人捕虜もいました。その捕虜をどうするか?とゆう会議がグアムで行われたそうです。
その会議の中で「日本人捕虜は処刑」とゆう意見の中で、彼のお父様1人だけが「ダメだ。殺しちゃいけない。生きて日本に帰すんだ」と主張されたそうです。処刑するべきだ!とゆうみんなの意見を真っ向から反対し、説得し続けた人は地元サイパンのチャモロ。彼のお父様だったとゆう事。私とカシラは絶句しました。奥さんは下を向いていました。ご主人は日本人の私達に言葉を選びながらその事実を長い付き合いの中で初めて打ち明けてくれました。

  「もし、あなたのお父さんが助けてくれなかったら・・・私達の存在は?子供の存在は無かったかもしれない」そう言うと彼は静かに首を振りました。教科書では習わなかった事。きっと日本に戻った人達も知らない事実だと思います。彼は言いました。「父は死ぬまで私達兄弟に言い続けた事。それは人に辛い思いをさせれば、必ずそれが自分に跳ね返って来る。とゆう事だった」と・・・「母親も日本人に酷い事をされた。でも母が言い続けたのは、どんな国の人でも良い人と悪い人が必ずいる。国じゃない・・人なんだ。とゆう事」

   彼のお父様は既に他界されているけど、お母様はご健在。3度程会う機会がありました。とっても柔らかな光が出ていて、優しくてニッコリ笑って私に日本語で話して下さいました。とっても気品のある女性です。不思議だけど、彼のお母様に会った時、車いすに座っていらっしゃるお母様に対して膝まづいて視線を見上げるようにして話したのは、人としての気品と威厳を感じたからだと思います。同じ目線で話す事が失礼に思うような・・人の内面が光として出る事を私はそのお母様から強く感じました。彼のご両親は戦前、この島が日本の統治としてあった時代に日本教育を受けていらしたから、日本語を話す事ができます。

   私は小学生の頃、母から「杉原千畝」とゆう人の話を聞いた事があります。
氏の故郷は岐阜県。私の実家の隣の市でもあったから、地元の人達は氏の存在を知っていたし称えていました。外交官であり、多くのユダヤ人に日本のビザを発行して救ったと言われる話でした。実は私の尊敬する人でもあるんです。

   彼のお父様の話を聞いた時、私はすぐに杉原千畝氏が頭に浮かびました。氏の行為は長い間知られる事は無かった。彼のお父様の行為も知る人はいない。正義とゆうものはある意味そうゆうものかもしれない。人を守るとゆう事は時に自分を犠牲にする。自分の生活を奪われる事もあるだろうし、存在さえ認められない状況に追い込まれる事もある。昔サイパンの知人がこんな事を言いました。「世の中には善と悪がある。悲しい事だけど、悪が目立ち、善はすぐには表れない。長い時間をかけてその善が認められる」と・・・。
   しかし週末に来た彼がお父様の話をしてくれた時、その背景が見えた。たった1人で「生かすべきだ。殺しちゃいけない」と言い続けた彼のお父様はその当時、どんな事を周囲からされたのか?非難も受けただろう。除外されるような事もあっただろう・・・でもそれに屈する事なく反対を続け、説得を続けた彼のお父様の貢献は偉大なものだったし、日本人として絶対に知らなきゃいけない存在の1人である事。私はそう思います。

   これを話して教科書が変わるわけでもない。サイパン戦終結の中にそんなチャモロの1人が日本人を救うために自分の犠牲を払っていた事。それはこのブログを読んでくださっている人だけの中でも伝えたかった事実でした。

   彼が最後に言いました。その後「捕虜を殺せ」と言った人達はその非道さをのちに責められることになりグアムに入る事ができなかったそうです。けれども、彼の父はグアムに入るとみんながファミリーのように迎えてくれた。と・・・そこに正義が立証された事を私は感じました。

   小学4年生、夏休みの読書感想文を初めて書く事になった時、祖父が私に感想文用の本を買ってくれました。それはサイパンでの実話でした。戦争中、サイパンに住む日本人のお話。厚く細かな字の本を見た時、私は祖父に抵抗しました。いつも私が「いやだ」とゆう事はしない祖父だったのに、これだけは絶対に譲りませんでした。祖父は強引にそれをレジに持って行き、私に渡しました。嫌々ながら読んだ本。「おじいちゃん、玉砕って何?サイパンって何処にあるの?集団自決って何?」そう聞きながら本を読み終えて、感想文を書きました。
母がそれを見て、何度も何度も書き直しをさせました。外では近所の子の声が聞こえる。一緒に遊びたい・・集中していないものだから、母が私の前に座り何度も書き直しをさせる。涙が原稿用紙に落ちて湿った紙を消しゴムでこすれば穴があく。午後から始めて夜遅くまでやった感想文。決していい思い出があったわけじゃない。でも「カビの生えたビスケット」そんな項目まで覚えている。今まで読んだ本の中で1番強烈に印象がある本になっていました。戦争の話をし続けた祖父。「戦争からは何も生まれない。戦争が悪い」戦時中当時はそれが言えなかった事。私はこの家族と親しくしてもらい、その事実を知った時、祖父が導いた事だったんだろうか?と思いました。正直、戦争を知らない私達ですから戦争の話は想像するだけになってしまう。でも戦争とゆうものは想像できる範囲ではない。でもそんな戦争の話を通して知る事がありました。「正義・人・心」私はそんな事を受け取っています。

2011年1月9日日曜日

不思議な・・・

   先週金曜日。不思議な夢を見ました。亡くなった祖父の夢。小さい頃から私は祖父が大好きでした。山に一緒に行ったり、病気をして学校を休むといつも傍に祖父がずっと居てくれました。亡くなってから私は祖父の夢を見る事はありませんでした。でもここ数年、落ち込んでいる時に祖父が夢に出て来てくれました。それはいつも同じ夢で保育園の運動場・・・いつも保育園の送迎をしてくれた祖父。運動場で帰りの挨拶をしている時、祖父はいつも私が祖父を確認できる位置に立っていてくれて、ニッコリと笑ってくれていました。その夢を何度も見るんです。

   でも先週の金曜は違っていました。祖父の姿を見るわけではなく・・・身内の私は不思議な夢だったけど、他の人が聞けばちょっと怖いかもしれないのでここではあえて書きませんが・・・翌朝「何であんな夢を見たんだろう?」と1日中思っていました。ふとカレンダーを見ると祖父の命日は14日。1週間後でした。「あぁ~もうすぐ命日だからかな?」と思った瞬間に「あれ?亡くなってどれぐらい?」「あれ?33年じゃない?」「あれ?33回忌ってあったよね?」すぐに母に電話を入れました。母も「あ!そうだよ。33回忌・・お寺から何の連絡もないよ・・」「数えの年でやるものなの?」「そうだよ・・・」「じゃ1月13日までにやらなきゃ・・・」「明日すぐにお寺に電話する」とゆう事になりました。

   その夜、母から電話があり「お寺も見落としていたみたい・・・良かったよ。気が付いて・・・・」昭和から平成に変わり、そうゆう事もあるんだろう・・

   明日には法要ができるようで安心しました。「おじいちゃんが伝えてきたな・・・」
夢の内容もそう思うとそのようなメッセージのある内容だったし。凄く嬉しかった。大好きだった祖父が亡くなって33年。今も私は祖父とちゃんと繋がっている事が分かりました。

   実は小学4年生で初めて夏休みの読書感想文を書く事になった時、祖父が買ってくれた本。感想文の為の本。絶対的に祖父が私に薦めた本は戦争物だったけど、実話でサイパンで暮らしていた人達の本でした。「サイパン玉砕」はこの時に知ったのです。祖父からその話しを聞いている時、まさか大きくなって私がサイパンに住むなんて想像もしていなかったし・・

   何か人生とゆうものは、不思議な導きの中で起こる事もあるんだ・・・今はそんな事を実感しています。

   私事ですみませんが、ちょっと浄化されたような気分なこの頃です。

2011年1月4日火曜日

寝正月

   カレンダー上のお正月も終えた今日。寝正月から復活しました。年末にこっぴどく風邪をひいてしまい、パーフェクトな「寝正月」を過ごしました。こんなはずじゃなかった・・・病院へ行くまでもなく、薬を飲んでいましたが、サイパンでもどうやら風邪が流行っているらしく、薬が品切れになっている棚・・・病院へ行っても数時間も待たされる。飲んだ事のない風邪薬を飲んで寝ていました。

   今日は何とか起き上がり、インターネットで2011年の運勢を見てみました。私は九紫火星。
最高な年!と書いてあるサイトもあれば、運気下降とか書いてあるサイトもある。どっちなんじゃ!と思いつつ、最高な年を信じてみる事にしました。占星術では3年前「再会の年」と出ていたけど、実際に再会の年であったのは、2010年。その2年前は「金運上昇」とか言っていたが、金運上昇どころか金運下降だった。どうやら遅れてやってくるようなので、今年は「金運上昇」なのかもしれない・・・そうゆう事にしておこう。

   皆さんは良いお正月をお過ごしになった事と思いますが、いつもこの時期に思うのです。
やっぱりお正月はコタツに入ってみかん食べて、お正月番組を見ながら過ごしたい。と・・・・やっぱり日本のお正月はいいですよね。

2011年1月1日土曜日

謹賀新年

   新年、明けましておめでとうございます。

昨年中、皆様には大変お世話になりました。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

世の中、まだまだ厳しい状況ではありますが必ず抜け道はあります。前向きに前向きに、前進に前進を重ねて頑張っていきましょう。

今日もサイパンは青空が広がる夏の島です。