2009年11月30日月曜日

先生part4

   保育園~短大まで「先生」「教授」なんて呼び名も変わってゆくわけですが、私が絶対に忘れられない先生は高校3年の時の担任。年齢は50代。学年主任もやっていて、現代国語の先生でした。腰が悪く、いつも足を引きずってゆっくり歩く。夏になると薄いシャツにうつるコルセットが痛々しかった。

   あの頃、我が家では入浴剤をよく入れていたのですが、安売りがあって母が入浴剤を2缶買いました。そこにおまけがついていたのです。プラスティックの細い棒を動物の形をしたオモチャに差し込み、引っ張り手放すと動物のオモチャが勢いよく走ってゆくオマケでした。それを学校に持って行き、親友の優子に1個渡し遊んでいました。ある日、自習時間がありました。2人で廊下に出て、そのオモチャを走らせていました。全てのクラスは授業中だから、廊下は誰もいなしシーンっとしています。すると隣のクラスの戸が開き、誰かの足が出てきてその足に動物のオモチャが当たり止まってしまいました。

   ヤバイ!担任の先生が隣のクラスで現国の授業をしていたのです。先生は「また芳子と優子か・・後で職員室へ来い。廊下でシャーって音が聞こえるから何かと思えば・・・なんだこれ?」と取り上げられました。仕方なく、職員室へ。先生がこっちを見ていました。先生の前に立つと「お前らさ、いくつだ?こんな幼稚園の子が遊ぶようなオモチャを学校に持ってきて、しかも自習時間に遊んで・・・」とゆうような内容を約5分ぐらい言われ、オモチャを返してくれました。

   この先生は1ヶ月に1度、席替えをさせてくれましたが私と優子だけは1年間席替えをさせてもらえませんでした。教壇の前から3番目の真ん中。私達は1年間、席替えをさせてもらえる事もなく、他の子が席替えをしているのを見ていました。血は争えないってことで、なんとコガシラが今、その状態になっています。親友の優子は本当に絵の上手な子でした。東京の美大に進学したかったけど、家庭の事情で地元から離れることができませんでした。彼女はいつも言っていました「これからはね、CGの時代なんだよ。私はCGの勉強をしたいけど、大学って名前がつく所では東京しかないんだよね。名古屋になると専門学校にならあるんだけど・・・これから映画にもどんどんCGが入ってくるよ」と・・・もう30年近く前のお話です。今なら「CG」ですぐ分かるけど、当時は「何それ?」とよく言っていたものです。彼女が説明する内容が全く理解できなかったのです。彼女はCGの勉強をすると言って、名古屋の専門学校を希望しました。彼女は言いました。「どうする?どこの学校にする?」将来の夢も無かったし、希望する学校も無かった。優子が「私が行く専門学校は他にもいろんなコースがあるんだよ。一緒に学校通いたいからさ、その専門学校行こうよ」と言った。「いいよ」簡単な気持ちで言って、優子が取り寄せた学校案内を見てどこのコースにしようか?と悩んでいました。三者懇談の日、担任の先生の開口1番「お母さん、こいつ優子と一緒に学校行きたいからって理由で優子と同じ学校へ行こうとしています。優子は自分の夢があって、名古屋の専門学校にそれを勉強するコースがあるって事でそっちへ行くんです。でもこいつは何の目的もなく、仲良しコンビで行こうとしているんです」「でも行きたいんです」「分かった。お前が行くって言うなら、先生は内申書は書かない。将来何になりたいんだ?」「分かりません」「先生にならないか?先生はいいぞ・・・」「先生にはなれません」「やってみなきゃ分からないじゃないか・・・」結局、仲良しコンビで進学したら内申書書かないの脅しに負けて、優子とは違う学校へ・・・もし、あの時に先生が本人が希望しているから、コースが決まってなくても行きたいなら行けばいい。とゆう作業的な気持ちでいたなら、今の私はサイパンに居なかったと思います。こうゆう体験は出来なかったと思います。また違った体験があったのかもしれませんが、私は今まで経験した人生に悔いはありません。だからこの人生、凸凹が激しくても好きなのかもしれません。

   感謝です。先生に感謝です。今、どうしていらっしゃるんだろうな・・・時々、先生の事を思い浮かべます。最初の頃は年賀状のやりとりをしていたのですが、それからどんどん疎遠になってしまった。

   忘れられない事があります。先生達の球技大会があった日。午後から学校が休みになりました。
先生は腰を悪くしていても、女子バレー部の顧問でした。なんと・・・その日、バレーコートに先生がスパイカーの位置で立っているではありませんか・・・目が点・・・先生はジャンプして背中を逆エビ状態まで曲げて凄いスパイクを打っていました。試合が終わり、先生はコートから出て来ました。やっぱり、足を引きずりながらゆっくり歩いて出てきました。どっちが本当なんだ?

   今でも頭の中で先生の声が聞こえます。「こらっ!芳子と優子!」って・・・有り難うございました。
芳子は元気でやっています。先生のご恩は一生忘れません。

先生part3

   会社の前を行ったり来たりする人物。3人目の先生でした。呼び止めると先生はニッコリ笑って「XX先生から聞いたよ。ここにいるって・・・じゃぁな・・・」っておいおい・・・見に来ただけかよぉ?「先生!逃げなくてもいいじゃないですかぁ~」「ちょっと来ただけだから・・・」ジャージ姿で去って行った。新婚旅行じゃなかったのね?

   会社の先輩は「また高校の先生?」「そうなんです」お腹を抱えて笑われました。恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・でも懐かしかったし、卒業しても恩師と教え子って関係はいいもんだな・・・と思いました。その当時は「ちぇっ!先生なんかさぁ~」と友達と話していたりしたけど、卒業して同じ社会人になると先生が恩師になって、対等に話してくれる。そして何かいつでも見守ってくれるような・・・温かいものがあると感じる。本当は高校時代からも先生達はそんな気持ちで見ていてくれたんでしょうけど、やはり私達は生意気言っても子供でそんな先生達の気持ちを知らないでいて、アドバイスを注意とか勘違いしたり・・・後になって分かる違った意味での親心のようなものを感じました。

   この去って行った先生は日本史を教えてくれていました。私の親友で絵がめちゃくちゃ上手な子がいました。私の日本史の教科書に載っていた「源頼朝」の顔に狸の落書きをしたのですが、それを先生が見て大笑いして絵の上手さを誉めていた。笑いながら「絵は上手いけど、教科書だからな・・・」と言っていました。親友と酸っぱい飴を口にいっぱい入れて笑わせ合いをしていたら先生に「じゃここ、読んでくれ」と言われて、ニッコリ笑った私に「な、飴なんか舐めていると本も読めないだろ?」と言った。まったく話さない私に「口開けてみて、どれだけの量を入れてるんだ?」口を開けたら、これも大笑いされた。
「お前な、女の子なんだから・・・」その時に、この先生の授業は絶対に真面目に受けようって思ったのです。卒業間近、最後の日本史の授業で先生がこんな事を言いました。「本当に小学生みたいな君達だったな・・・特に芳子、優子・・・」「でへへへ」「やっと離れることができるかと思うと今晩からよく眠れるよ。先生は大学を出てここに来て、最初の生徒だった。ずっと忘れない。君達が先生を忘れても先生は忘れない。ありがとう」って最後は涙声で、目を真っ赤にして走って教室から出て行った。私と優子は先生を追いかけた。そして何人かの生徒もやってきて、ずっと先生の側にいた・・・何か青春ドラマみたいだけど、実際にこうゆう事ってあると思った。今思うと恥ずかしいけど、私達も胸に込み上げるものがあったんですよね。

   先生のあだ名は先生の名字にカッパを付けた「XXガッパ」私と優子がつけたあだ名でした。
先生、卒業の名台詞を残してそのままだったら「尊敬」の先生だったのに、会社の前でウロウロして、それも白昼堂々とジャージの上下はないんじゃない?もう・・・でも有り難うね・・・最初に気がついた時は猿かと思ったよ。あだ名改名させてもらいます。「XXザル」って・・・

2009年11月29日日曜日

先生part2

   Part1の先生が転勤した高校は私がアパートを借りていた町の近くにありました。だから再会できたのですが、まさか・・・私の母校の先生が他にも2人、同じエリアに居たなんて。噂は広がり、ついには高校時代男子の体育を教えていた先生までもが会社に登場。この先生は高校3年生の時に新任で来た先生だったから、5つぐらいしか年齢が離れていません。

   「いらっしゃいませ・・・」自動ドアが開いた音と同時に挨拶をしてお客様を見る。「ぶーっ!!」私は吹き出してしまいました。先輩はビックリした顔をして私を見ました。次に「せんせい!どうしたんですか?」と叫んだ声に先輩もニコニコ笑っていました。「また高校の先生?よほど凄い子だったんだね」と終業時間後、先輩に大笑いされました。

   実際にはこの先生に習った事はないけど、よくからかって遊んでいた先生の中の1人でした。
また女性同伴・・・でもよ~く見てみると彼女、私の後輩だった・・・「まさか・・・」「そうなんだよ、今度結婚するんだよ」「新婚旅行ですかぁ?」「それはまだ・・今度、長野へ1泊で行きたいんだけど、ホテル手配してくれない?」「いいですよ。まぁ~婚前旅行ってやつですね。」「先輩!元気でしたか?」私、彼女と高校時代には話した事ないけど、先輩なんだ・・・今はお客様だけど。「それでいつ結婚するの?」と聞くと何月とか言っていましたが忘れました。人の幸せはもういい・・・自分の幸せ欲しいわぁ~
でも既に結納も入っていて、着々と結婚の準備は整っているようでした。

   その長野の旅行からも帰ってきて、また2人で会社に来てくれて・・可愛いキツネの絵がついたテーブルマットをお土産で貰いました。「有り難うございます」ひゃ~また幸せのおこぼれ貰いか・・・
幸せそうな2人だったので「ね、子供は早く欲しいって思う?」と聞いてしまいました。「はい」と後輩。「うん」と先生・・・聞くんじゃなかった。でも2人は言っていました。在学中はそんなんじゃなかったんだよ。卒業してバッタリ会って、それから会うようになって・・・と。「どっちでもいいって・・・幸せならいいじゃん。誰にも言わないから」って私、何人に話したんだろう?先日も高校の同級生に話してたよなぁ~

   そしてしばらして、先生から会社に電話がありました。「時間ある?」「はい。大丈夫だけど・・どうしたんですか?」「今日、会えるかな?」「はぁ?彼女も一緒にいるの?」「いないよ」待ち合わせしました。
何か様子が変・・・「先生、どうしたの?」「酒、付き合ってくれるか?」「いいよ」居酒屋に入りました。
「どうしたの?彼女は?」「別れた」「はぁ?別れたって、結納入ってたんじゃないですか?」「婚約破棄された。俺にはついてゆけないって・・・」夜中まで慰めても、立ち直ってくれない。どんより暗い空気の中でどう慰めて良いのやら・・・私が話しかけないと話さないぐらい、そのショックは大きなものだったのです。時々、ふと何か気がついたように話してくれるけど、すぐに会話が途切れ暗い空気になる。参ったなぁ~こうゆう時、どうすればいいんだぁ?「先生、カラオケ行く?」マイクを持った振りをしておどけるが、先生はか細く微笑み首を振る。「そんな気分じゃない・・・」結局、バーのカウンターで2人背中を丸めてお酒を飲んでいました。先生は「今日、有り難う。送って行くよ」「あぁ~大丈夫」「いいよ、送って行く」タクシーに乗って私をアパートの前で下ろし「じゃ、有り難う。またな・・・今度会う時は元気になってるよ」「うん。あまり気を落とさないでって無理だけど、お酒飲みたかったらいつでも付き合いますよ。でも先生の奢りだよ」先生は一生懸命に作った笑顔を見せてくれた。
「大丈夫かな?」アパートの階段を上りながら心配になった。「いつ元気になるんだろう?・・・・」

   それから半年とちょっと過ぎた頃、先生から会社に電話がありました。
「久しぶり!この間は有り難うな・・助かったよ。お前が居てくれて・・・」「もう元気そうですね。吹っ切れたんですね?」「うん」「良かった」「それでさ・・会いたいんだけど・・・」「え?」「話があるし・・・」「いいですよ」と約束しました。前回も「会いたい」と言われ、半ばマジで考えたけど、今回はマジでヤバイぞ・・・どうしよう?洒落にならんよ・・・先生に会いました。「あのな・・今度、俺結婚するんだ」「・・・・誰と?より戻ったの?」「違う人だよ」「・・・・・」確かに元気になったらまた会おうと言っていたが、元気になりすぎだろう?段階ってもんがあるだろう?どうして私の恩師ってゆうのは、こう面白い先生ばかりなんだろう?

   っで、結局、先生の新婚旅行も手配しました。2度ある事は3度ある・・・次は誰だ?
そう思って仕事をしていると、透明な自動ドアの向こうに落ち着かない男が1人・・何度も会社の前を行ったり来たりしている。「いたぁ~!!!」私は自動ドアに駆け寄り、逃げてゆく男に声をかけた「先生!」次回はPART3で・・・

先生part1

   高校時代にお世話になった先生のお話です。
高校を卒業して地元を離れ、1人暮らしをして短大に通っていました。そして旅行会社に就職して、数ヶ月が経った頃、岐阜の柳ヶ瀬(アーケード街で当時は一番の繁華街。飲み屋さんもあれば、デパートもあり、ブティックもあり・・・)で会社の先輩と上司と一緒に生ビールで乾杯していたら、前を横切る見慣れた顔・・・私はすぐに立ち上がり「先生!」と声をかけました。先生は振り返り「おぉ~!なんでお前がここにいるんだ?」「止めて下さいよぉ~もう・・・生徒指導みたい・・・実はこっちで就職して今、会社の人達と飲みに来ているんですよ」「そっか・・・おい、お前・・電話番号教えろよ」っていきなりかい!しかし先生の横にはしっかり彼女。私が高校に入学した時、先生は国立大を卒業したばかりの新人だったのです。担当は数学で副担任。先生も電話番号を教えてくれました。

   翌日、部屋に電話がありました。「おい!今度の週末飲みに行くぞぉ~」「金曜ですか?」「うん」とゆうような会話がありました。6時30分には仕事が終わるけど、残業があるかもしれないしって事で7時に先生が会社の前で待っているとゆう事でした。この先生・・・実家は酒屋で高校で1番の酒豪だと聞いていました。早速、居酒屋へ・・・かなり呑んだと思います。「強いなぁ~酒・・・」「でしょ?」周囲の人達は相当ビックリしていました。っで・・・「おい、次行くぞ!」と私の知っているバーへ行きました。先生の奢りだから遠慮なく飲ませてもらいましたが、さすがに2次会のバーは私がキープしておいたボトルを提供しました。ここでも空にして、新しいボトルも入れて半分以下まで飲んで・・・先生は「おい、次行くぞ!」とカラオケへ。最終的には酒豪の先生を潰しました。高校時代、数学の成績表の恨みを今晴らしたぞ!先生を抱えて、タクシーに乗せました。なんで教え子の私がこんな事をしなきゃならないんだ?

   しばらくして先生から電話がありました。「お前に話しがあるんだ」「何ですか?」「会ったら話す」「分かりました」「じゃいつがいい?」「いつでも・・・」「じゃ今度の金曜、場所はどこがいい?」場所は私に決めさせてくれました。バーの場所を話して時間も決めました。
「まさか・・・彼女いるのに・・・どうしよう。どうやって断ればいいかな?」なんて半ばマジで考えていました。バーへ行くと先生は既に待っていました。結構、真剣な表情です。「すみません、お待たせしました」
「おぉ~悪いな、呼び出して・・・」「いえ、それで話って何ですか?」「実は・・・俺、結婚するんだけど、お前に新婚旅行をお願いしたいと思って・・・」「・・・・・」ばかやろぉ~なんだよこの妙な間と空気は・・それならそうと電話で用件言ってくれれば、パンフレットでも持って来てやったのに!と内心思いながら、笑って「おめでとうございます」旅行会社モードに切り替わる。なんか寂しい職業病?

   実はこの先生、私の高校時代の憧れの先生だったのです。まぁ~無事に新婚旅行から帰って来たようですが、ある日会社に小包が届きました。香水とチョコレート、小物と写真付きのハガキそうです!2人がキャンドルサービスしている写真で「私達、結婚しました」の定番メニューのハガキです。ご丁寧にも有り難うございます。学校に電話しました。「お土産有り難うございました。楽しかったですか?」「うん、凄く楽しかった。有り難うな・・・また新居にも遊びに来てくれ」「は~いっ!」

   なんか恩師の新婚旅行をするなんて・・・高校時代、黒板に数学の公式とか書いて大声で教えていた先生だったけど、まさかね・・・先生もまさか私に新婚旅行の手続きを頼むとか当時は全く思っていなかったでしょうね。私、高校時代、結構マジで先生の事好きだったけど・・・先生もそれ知っていたし。
チョコレートもあげたし・・・卒業の時は一緒に写真も撮ったしねぇ~体育際で友達と悪ふざけして、長距離を走った私はゴール近くにいる先生の前で倒れる!とゆうシナリオを作っていたのです。マジで私やったんですよ。先生の前で倒れたら、先生走ってきて私をいわゆる「お姫様だっこ」して保健室まで運んでくれたし・・・垂れ下がった手は友達にVサインを出していたけど・・・保健室のベッドに寝かせて、額に冷たいタオルも当ててくれたんですけど・・・しばらく側にいてくれたし。先生!ごめん!あれは嘘だったの。友達とね、そうゆう事で盛り上がっていただけなの・・・二十数年前の悪事の数々、ごめんなさい。しまった!お客様の中にも高校の先生がいらっしゃった・・・すみません。女子高校生が考えることっていろいろあると思いますが、子供ですよね?

2009年11月28日土曜日

これは怒って当然なのだ・・・

   労働基準監督署が発行した2年間滞在延長ビザ取得の為に10月末から某所に労働者とその家族は長蛇の列を作っている。日本人にしてみれば、2年間サイパンを出ないとゆう人はいないので、すぐにアメリカが発行するビザに切り替えてしまうからあまり意味がないのかもしれない。でも、念には念をとこのビザを受領する人もいれば、意味がないから・・・と受け取らない人もいる。私はどっちでも良かったが、念の為に受領することにしました。

   とにかく長蛇の列・・・コガシラの学校送迎があるので、並ぶことは不可能に近かったけど、昨日はサンクスギヴィングの絡みで学校がお休み、カシラもお休みだったからラッキーだった。それに昨日が最終日だったのです。午後1時にその某所まで行ってみたものの、かなりの列。めげてしまった・・・
買い物だけ済ませ、午後3時に腹をくくって並ぶ事にしました。事務所に入れたのは、並び始めておよそ5時間が経過した午後8時。3人の日本人に会った。朝8時から並んでるよ・・・と彼女は言った。ビザを受領したのは午後5時近かった。「もうクタクタよ・・・」とその列から解放された彼女はホッとした雰囲気で帰って行った。

   係官が「あなた達が犠牲になっていることは十分に分かっています。必ずビザは渡します。夜中になっても最後までビザを発行しますから、安心して下さい」と列に向かって話していた。
安堵した顔の人達・・・その多くは母国が貧しく出稼ぎとして来ている人達だった。私はなんか凄く惨めに思えた。日本は不況ともデフレとも言われる今だけど、やはりいい国であると思う。

   私の前にフィリピン人の男性がいた。私の後は韓国人の家族だった。約5時間待ち、やっと入り口までおそよ数メートルとなった時、フィリピン人の男性に知人の女性がやってきた。この男性が他の窓口に呼ばれた為にどくさくさに紛れて私の前に立って並んでいた。「ちょっと・・・貴方後に行ってよ。みんな長い時間待ってるのよ」とブッチ切れた私。彼女は「私の主人がこの場所を取っておいてくれたのよ」
「ご主人って今の男性?」「そうよ」「あの人は違うカテゴリーのビザだから、違う窓口へ行ったじゃない。彼はUS国籍を持つ人のご主人よ」と言うと、彼女は「でも知り合いがこの場所を取っておいてくれたの」と声を荒げて行った。私は首を振って「分かった、分かった・・・もういいわよ」と言った。彼女が最初に来た時、彼女は男性に尋ねていた。「私の労働ビザはこのラインでいいのか?」と・・男性は「貴方は反対のラインだよ」と教えていたのを私は知っていた。でもこれ以上、この女性と戦う気はない。

   「権利を異常な程に主張する」と言われているが、こうゆう事を平気でやる事も腹立たしい。
カシラが来てくれた・・・私はカシラに日本語で彼女の事を話したが、1つ1つ単語を入れて彼女に分かるように話した。彼女の背中から緊迫したものを感じた。カシラが「俺が言ってやろうか?」と言ったが、「もういい。こんな人に関わらない方がいい」と話した。朝から来ている人は7・8時間も待っている。私は5時間、ラッキーな方だと思っていた。

   事務所の入り口にやっと到達。事務所の中に入ると長椅子に30人程の人が受領を待っていた。
パスポート・ビザを出して本人確認。既にビザが出来ている人もいれば、これから作る人もいる。かなり時間がかかっている。私は事務所に入って10分もしないぐらいに私のビザに記入されているアルファベットを呼ばれ、デスクに案内されました。既に私のビザは出来ていて、ファイルしてありました。
一気に30人超えです。全てが終わり、建物を出た時は既に8時30分近くなっていました。
「疲れたぁ~」でも・・・いろんな人達を見た。受領できなくて肩を落とした人、いろんなモノに当たり散らした人・・・友達が言っていました。不法滞在者が300人程見つかったらしい・・・と。この小さな島に凄い数です。

   不法滞在者にもこのビザを出して欲しいとゆう嘆願もあったそうですが、それは連邦法以前のお話でしょ・・・有効のビザを持ってちゃんと申請すれば、サイパンの労働基準監督署は労働者に対して救いの手を出している。でも、このビザはサイパンから出てしまえば、入国時には何の意味もないただの紙切れとなってしまう。サイパンを出ない条件で2年の延長ビザなのだから・・・日本人で2年間、外に出ない人はあまり居ないと思う。アメリカが発行するビザに切り替えなければいけないのです。

   これから私達の中でもいろんな噂や僻みも出てくるでしょう。それが本当に嫌だな・・・と思うこの頃なのでした。もう2度とあんな列に並びたくない。それは疲れるから、とゆう理由ではなく、サイパンでもなく、アジアでもなく、アメリカでもない。いろんな国の人達が集まり「今を生きることに必死なパワー」みたいなものが見えてくる。でもそれは決して夢を見るわけでもなく、今を今だけの事しか考える事ができない・・・そんな人間臭い部分が溢れているような・・・人生に陰と陽があれば、あの行列の中にあった空気は「陰」だったのかもしれない。カシラが言った。「ここから抜けような・・・」それは長蛇の列ではなく、何と説明したらいいんだろう?「自分だけは・・・」そんな必死さとがさつさが絡み合って漂う雰囲気とゆうんだろうか・・・怖かった・・・

   昨日の疲れがやけに今日出てくる・・・もう寝よう。

この数日間・・・part2

   先月末頃から北マリアナ労働基準監督署が発行した「アンブレラ パーミット」
これは今持っている有効なビザに対して2年間の延長を許可したもの。連邦法導入に関して、外国人労働者の保護と維持を意味したものらしい。でもアメリカ主導の入国管理になれば、このビザの力は薄いものになる。今度はアメリカが発行するビザになるわけですから・・・でもサイパンから出なければ、このビザは有効。でも日本人の場合、2年も日本に帰らない人はいないから、このビザを持っていてもすぐにアメリカが発行するビザに切り替えてしまうからその意味が無くなってしまいます。

   アメリカからしてみれば、外国人労働者の振り分けを妨害されてしまうし不法滞在者の数を増やすだけだと面白くないビザ。このビザを受け取った場合はアメリカが発行するビザ取得に不利だとかいろいろな噂も飛びましたが、アメリカ側のコメントでそのビザに関しては何も問題視しない。とゆうものが発表され日本人の中でも受け取った人、意味がないと受け取らなかった人といるようです。

   一昨日の新聞では、サイパンの最高裁が連邦法に含まれる入国管理の規制に不備があるとし、いくつかの条約の中でこの部分だけが延期される事になったと発表されました。11月28日の連邦法導入であれば、内容が事前に発表され労働者からのリクエスト期間を含め施工日より遡り、最低でも2ヶ月間の時間が必要だとゆう事だそうです。でも実際に詳しく内容が発表されたのは、10月に入ってから・・・アメリカもそれを認め、連邦法の中の入国管理に関しては延期される事になったのです。
まだ詳しく発表されていませんが、3・4ヶ月遅れるんじゃないか?と予想しています。

   でもそんな事態がありながらも事実上、昨日が北マリアナ連邦入国管理局としては最後のお仕事だったのかな?ここで働く知人に聞いたら「まだ3・4週間はこのままみたいだけどね・・・」と言っていました。連邦法が導入される事で、この人達も職を失うのです。数人は残ると見込まれていますが、実際にはアメリカから管理官が来るらしい・・・

   20数年前・・・私は旅行会社に就職しました。当時の事を思い出すと「サイパン」はまだこんなにホテルが無く、私自身興味を示した記憶がありません。就職して2・3年がした頃だったかな?運輸省(現在の国土交通省)からFAXが入りました。「巨大台風キムがサイパンを直撃し、島が崩壊。ホテルも観光客の受け入れが困難になっている。しばらくの間、サイパン旅行の販売を中止」とゆう内容でした。
不思議な事だけど、その通達を読んだ場所を今でも覚えています。その数年後、私はサイパンに住み既にサイパンで長く暮らしていた知人から「台風キム」の話を聞くことになったのです。先日もフィリピン人から台風キムの話を聞きました。3ヶ月間停電していた事、電気が復活したのはクリスマスだった。とゆうこと・・・今でも台風の話をする時、このキムの話題がでる。その度に私は当時その情報を読んでいた自分を思い出します。旅行業者としてあまり興味を示すことが無かったサイパンに滞在し、私は今月で19年目に入った。あの当時、そのサイパンにこんなに長くいるとは全く予想さえしていませんでした。

   そして小学4年生・・夏休みの課題に「読書感想文」が増やされたのですが、初めての読書感想文に全くやる気がなく、本の選択さえもしていない私を祖父が見て言いました。「おじいちゃんが本を買ってあげるから本屋さんへ行こう」祖父が本を選んでくれました。第二次世界大戦中のサイパンを書いた本でした。「サイパンってどこ?」「玉砕って何?」戦時中、この島で暮らしていた日本人の生き様や考えを読解できないまま作文にしてしまいました。母はその作文を読み、数日間何度も何度も書き直しをさせました。面倒で面倒で・・・そしてその本が嫌いになった。でも不思議なのは、本の名前も中のタイトルにあった「カビの生えたビスケット」泣きながら書き直した夏の夜・・・なんか覚えているんです。でもその当時、祖父も母も私もこの本の中に出てくる激戦地サイパンに私が長く住む事を誰も思っていなかった。本当にそう思うと私はこのサイパンに何か因果があったのだろうか?と思ってしまいます。

   人生は不思議なものです。そして世界地図にゴマぐらいの大きさでしか示されないサイパンに連邦法が導入され、アメリカ主導の島に変わってゆく・・・ニュースにもならない話題だけど、この島でまた語り継がれる歴史となったわけですね。その節目に携わったこと・・・これもまた人生なのでしょう。

この数日間・・・part1

   今日から連邦法が導入され、サイパンもアメリカ主導の島となりました。いつもと変わらない土曜の朝を迎えています。この1週間・・・いろいろな事がありました。先週の日曜には、今年6月にアメリカへ帰った母子がサイパンに遊びに来た。ご主人は仕事の関係上、サイパンに残っているから「サンクスギヴィング」をこの島で過ごしたのです。明日帰るとゆう短い滞在ですが・・・・

   コガシラの親友でジョージアに住んでいますが、幼稚園の頃から一緒で小学生の時は違う学校に居たけど、中学になってまた同じ学校になり、週末になるとよく遊んでいた子です。お母さんも私と一緒に呑んでくれたり・・・とっても素敵なファミリーなのです。水曜に学校行事でサンクスギヴィングのイベントがあり、その子に会いました。彼は私を「Mom」と呼び、私は彼を「My Sweety」と呼ぶ。再会した場所は6月に「また会おうね」と彼と抱き合った場所と同じ・・「元気だった・・・会いたかったよ」と彼とまた抱き合いました。そしてお母さんに会い、駆け寄って抱き合いました。「会いたかったよ・・・」お互いにそんな会話をして、しばしの時間抱き合っていました。

   その後、コガシラとその子は我が家に・・・・夜はパーティーがあり、私達は再会を喜んでいました。
パーティー終了後、子供達は家に泊まることなり、半年前のようにコガシラの部屋で遊びベッドで寝て、朝ご飯は私が作る、スクランブルエッグとスパム、暖かいご飯。を彼は懐かしそうに食べてくれました。

   「今度、いつ来られる?」「分からないけど、またすぐにサイパンに来たい」「来年の夏休みはカイ(コガシラ)は日本に居るよ。ジョージアから日本に来られる?」「うん、勿論。」「名古屋空港まで来てくれたら、私が貴方を迎えに行くから・・・」「有り難う。名古屋は知ってるよ。今回も名古屋経由で来たし・・大丈夫」「じゃ、おいで。日本に・・・カイのおじいちゃん・おばあちゃんの家で過ごして。山と川しかなくて、海はないし、小さな町だけどいい所よ」彼はニッコリ笑って「ジョージアもそうだよ。小さな町だよ」と言っていた。

   私は彼と彼のお母さんのSUEに会うといつも思う。「この人達に会えた事を嬉しく思う」と・・・
コリン・スー・マーサ・・・・私はこの3人の友人とこの島で会えた事に凄く感謝しています。これからこの先、この島がどんな状態になって変わってゆくのか?分かりませんが、3人の友人に会えた事、このサイパンに居なかったら会えない人達だったから、私はこのサイパンにやはり感謝したいと思っています。

2009年11月24日火曜日

明日は大変です

   前に書きましたように、私のPC・・・煙でまして完治しておりません。昔の昔のタワーを取り付け、今はブログとメール、サイトが見られるだけのPCとなりました。壁紙もニコちゃんマークからPCに付属のようについている草原の風景。この風景を見ながら、長い長い時間待ってサイトを開くとゆう現実。
まだまだ写真の掲載ができそうにもないので・・・ごめんなさい。

   さて・・明後日は「サンクスギビング」七面鳥を食べる日です。淡泊でぱさついた食感がダメとゆう人も多いけど、大きな七面鳥を焼けば3日間は七面鳥で悩まされる。でもいつになく、買い物へ行っても七面鳥を買う人の姿をあまり見かけません。1羽がけっこう高いせいもあるのか?この世の中の不況で七面鳥にとってみれば救われる命もあったかもしれません・・・

   それで明日はコガシラの学校でイベントがあります。ローカル・アメリカ・日本・韓国・中国・南米等の親が母国の料理を作って学校へ持って行き、子供達が食べる。そうゆう行事です。日本食担当の日本人のお母さん達。何を作るのか?予め話しをしてゆくのですが・・・カレーライス(これは日本?インド?)炊き込みご飯(レトルト)因みにこのレトルト炊き込みご飯を作るのは、普段から仲の良い女性なので「今年は私がやる!」と声を上げたが却下された。「手抜きでしょ!」海苔巻き・いなり寿司・竜田揚げ・・・いろいろあります。が・・・ご飯系が多いのはお米を愛する国、NIPPONの特性なのでしょうか・・・おかず的なものが少ないなぁ~去年思ったのですが、並んだ料理を見るとその国の代表的調味料が分かりますね。日本は茶色っぽいし、韓国は赤色が多いし・・・アメリカは何でラウンドケーキなんじゃ?デザート系が多いですね。これまた甘い匂いが漂い。色もはっきりしています。南米はやっぱりタコスでしょ。中華系はいつも人気。餃子にシューマイ・豚まん・・・包み系が多いですねぇ~

   さて肝心な私は何を作るのか?と言いますと・・・いろいろ考えたのです。テーブルコンロ持って行って焼き鳥でもしてやろうか?たこ焼きでもやってやろうか?とにかくウケを狙ったのですが、ずっとその場に居なきゃいけない。できればハチマキして団扇でパタパタやってみたかったのですが・・・で、結局ですよ、日本の味って言ったら海外でも通用するのが「TERIYAKI」でしょ?今日は鶏肉の大きな袋を買い込んで、明日はコガシラを学校へ送ってから家で全部を焼き、TERIYAKIソースを使って作るのです。我ながらよく考えたメニューだと思いました。

   コロッケってあれは日本食に入るのですね・・・アメリカ人の友人も知らなかったし。最近、日本食材のお店でお総菜として売っているから知られてくるようになりましたが、私がコロッケを作って学校へ持って行った時、アメリカ人とペルー人に作り方を教えて!と言われました。一度、大家さんにあげたら大家さんもお総菜として買った事があったらしく「好きなんだよ。これ・・・」と。それから大家さんがコロッケが食べたい頃になると私にではなくカシラに「コロッケ美味しいよね・・・」と合図をするようになりました。カシラが「フレッド(大家さん)がコロッケ食べたいみたいだよ。今日、突然言ったから」そうなると翌日の夕飯は決まりコロッケになります。めちゃくちゃ喜んでくれます。4月のハッピーイースターの日にもアメリカ人の友人から電話があり「パーティーに来て」とお誘い。「何か作って行くよ。コロッケでいい?」と聞くと彼女もすぐにOK。20人はいたパーティーだったので、50個程作りました。その時は本当にギブアップ!状態でした。それ以来、パーティーでコロッケを持って行くのは止めようと誓いました。持っていけばみんなが好きなコロッケだけど、作るのに大変なので明日のイベントもコロッケは外しました。
本当はコロッケが1番良いかな?とは思いますが・・・

   去年のこのイベントの時は料理を置いてすぐに帰ろう!と思いましたが、日本人の友人に引き留められそのうちやっと帰れる!と思ったら、アメリカ人の友人に引き留められ、ペルー出身の先生が来て3人で立ち話。そのうち「写真撮ろう」とゆう事になり、3人ではしゃいで写真を撮っていたら、時間がかなりずれ込んで、解放されたのは予定の約1時間後・・・駐車場に行ってみると、私の車は他の車に囲まれ出られない。「げぇ~」仕方なく戻りました。戻った所にまたさっきのアメリカ人の友人が「どうしたの?」と声をかけてきて帰れないと知るや、また立ち話・・・結局、その日は健康診断で病院へ行く予定が全部潰れてしまったのです。それでコガシラが今日、私に言いました。「料理を置いたらさっと帰って。去年のようにクリストファーのママとミリ(ペルー出身の学校関係者)と写真撮ったりして騒いでないで・・・恥ずかしい」と釘刺されました。見てたか・・・コイツ・・・騒いでるのママ達だけだったよ。と言われ、胸が痛かった。でも私は思うのです、コガシラの友人達から私はけっこう人気があると思うのです。
いつだって「Mrs、KUSHIHATA!」と手を振ってくれる。コガシラは言いました。「ママ知ってる?みんなママのこと好きだけど、おもしろい人だって事だよ。」「いいことじゃん・・・」「もっとお母さん!って感じになれないの?」と言われ、今夜は結構、胸をえぐられた気分です。明日はおとなしくして料理を置いてすぐに帰ります。

   

2009年11月21日土曜日

昨日の事件について・・・

   ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、昨日の午前にサイパンで乱射事件がありました。
地元の方が4名犠牲になり、韓国人の観光客が6人重軽傷と日本では報道されたようですが、地元の新聞とちょっと異なります。昨夜の地元新聞社の掲載では亡くなった方が5名と書かれていました。その部分はまだ正確な事が分かりませんが、地元の方の4名の死亡は日本でもサイパンでも同じです。
重軽傷を負われた方の1日も早い回復と亡くなった方のご冥福をお祈り致します。

   この事件を知ったのはお昼ぐらいでした。この島はラジオ等を聞いていない限り素早く情報をキャッチする事が困難です。知った頃には全て解決していました。最初の情報はかなり事実と異なっていました。夕方になってニュースを観ると、第一犯行現場はコガシラの学校からそう遠くない距離でした。そこで地元の4名の方が襲撃されました。その後、場所をラストコマンドポスト(日本軍の最後の司令塔)と言われる観光スポットに移動し、韓国人観光客に向けて乱射。その後、犯人は自殺。

   今日は警察による監視が強化されたのか?パトカーの巡回が多く目立ちました。
この事件によってこれからサイパンにいらっしゃる予定の方々も多くいらっしゃると思いますが、昨日の午後にはいつもようなサイパンに戻っています。全ての学校も予定を変更する事なく、平常通りの迎え時間でしたし、何も変わらないサイパンでした。今日もいつもの週末の雰囲気の朝を迎えました。
どうぞ、安心してサイパンにお越し下さい。

PCが壊れたんです。

   先日、カシラが投稿した記事でPCから煙・・・ってゆうのは、実を言いますと私のPC。ずっと調子が悪くて悪くて、ついに煙を出してしまいました。急遽の対応で今日からブログは書けるものの、写真はしばらく掲載できません。あぁ~写真でコメントを書いていた方が良かったぁ~文章だけで話題を作るのはどうも難しいってか、サイパンってそんなに話題があったっけ?あるんだろうけど、のんびりやっている私にはどうも「情報」とゆうものから隔離された環境にあって・・・ぐちゃぐちゃ言っているわけです。

   これで女将がサボっていたわけじゃない事はご理解頂けましたでしょうか?でも半分、それを理由にサボっていたかな・・・トホホホ・・・

2009年11月16日月曜日

パワー復活!

   先日、お客様のお子さんとヒーロー者の話しをしていました。この子は5歳の男の子。
彼のご両親、独身時代からオーシャンクラブに来てくださり、そのお子さんは来年4月に小学生。毎年、この時期にサイパン帰郷があり彼の成長を楽しく見ている私達。またこの男の子は大のヒーロー者好きで、いろいろ教えてくれます。最近の合体ヒーロー者に関しては「ホーホー」と驚きの連続。コガシラがやはりこんな年齢の時には、一緒に見ていましたが・・・もう遠い昔のこと。しかし!こんな私にもその子と対等に話せる話題がある。それは「ウルトラマンシリーズ」私は小さい頃からウルトラマン好きで、女の子が見る「魔法使い」系の漫画には興味が無かったのです。どれぐらい好きだったか?と言いますと、だいたい怪獣の名前は言えるし、ストーリーも話せる。小さい頃は何かの付録についていた怪獣の声のソノシートをポータブルのレコードプレイヤーで聴いていました。怪獣の声が家中に響くたびに母が来て「もう少し音を小さくして・・」と言っていました。

   冬の星空はとっても綺麗。岐阜の山に囲まれた小さな町。私は夜毎、空を見上げて星を眺めていました。母は「この子は星座に興味があるのか?」と思ったらしく、星座早見表を持ってきて星座のお勉強をさせようとしたようですが、私は星座には興味がなく探していたのは「ウルトラの星」M78星雲だったのです。カシラにそんな話しをしたら「M78星雲って本当にあるんだよ。でもどうやって見つけようとしたの?」と聞かれ「その星に入ったり出たりするウルトラマンを探してた」めちゃくちゃ笑われた。しかし、子供心には真剣だったのです。サンタクロースにお願いしたのは「ほしをください」・・・でも朝起きて枕元にあったのは、星ではなくクレヨンでした。きっとこの世に生を受け、最初に「裏切られた」と実感した日は間違いなく、この朝だったと思います。当時発売されたばかりだったと思う24色のクレヨン。私はガッカリし不機嫌になり、怒りになり・・・結局、母に叱られ取り上げられました。「じゃ、もうサンタクロースに返す!」とか言われた。

   そんな話しをしているうちに、子供の頃の純粋な心と宇宙への憧れ・・・蘇るんですよね。無償のパワーって言うんでしょうか・・・何と言うんでしょうか・・・

   子供と話すって良い刺激になったりするんですよね。この男の子は私の前でいろんな変身ポーズをしてくれました。「そうっか・・」真似てはみるのですが、やはり子供がピンと伸ばす指先とちょっと照れながら私が伸ばす指先とでは全然違うんでしょうね。なかなかOKがもらず、何度も見せてくれました。師匠!来年はもっとかっこよく変身ポーズできるようにしておきますっ!そしたら私はウルトラマンになれるでしょうか?・・・でも師匠・・沢山ご飯を食べないとね。「沢山ご飯食べないとウルトラマンになれないよ」と言った時、師匠は「俺はウルトラマンにはなれないよ。おすし屋さんになるんだ」と言いましたね。師匠、生意気だけど言わせてもらえるなら・・・「なれない事は何もないよ。おすし屋さんになりたいなら、お寿司に関しては誰にも負けない美味しいお寿司が作れる、そんなウルトラおすし屋さんになれるように頑張ろうよ。カイ兄ちゃん(コガシラ)も小さい頃、マグロ漁師になりたいって言って釣りを一所懸命やっていた時期があるよ。でもその夢は変わってしまったけど、師匠もいつかその夢が変わったとしても、何してもウルトラ的なパワーで頑張って下さい。4月からはランドセルを背負って小学生。別れ際に師匠は「もう何度も聞いたよ!」って叫んでいたけど、また言わせて下さい。お勉強頑張ってね!そして大人になった私に小さい頃の元気な夢を思い起こさせてくれて、ありがとう・・・」   

PCのせい・・・

   ずっとこの数ヶ月、PCの調子がめちゃくちゃ悪く。この数日間は使用禁止状態。昨日はやっとメールの送信ができるようになりましたが、写真の掲載はまだ未解決状態。メールを送って下さった方々・・この場をお借りしてお詫び申し上げます。「返信は早急に致します。ごめんなさい」

   カシラは「俺のパソコン使っていいよ」と言っていましたが。「ブログは自分の所定位置と馴染んだキーボードで落ち着いて書きたい!を理由とし・・・結局サボったわけですね。

   またPCが不機嫌になる前にブログを書いておこう!と・・・焦っているのでした。

2009年11月5日木曜日

女将、撃沈・・・

   サイパンに戻って3カ月。嘘みたいだけど、1度も海にへ行けず・・・・今日は久しぶりに大好きなオブジャンビーチへ行ってきました。確か・・・5月から潜ってないやぁ~。5月にはスムージーのお店に寄って冷たいパイナップルスムージーを食べましたが、今日はルートが違ったのでスムージーを食することはできませんでした。(最近、閉店している時の方が多いかな・・・)

   やはりもう常夏の超短い冬?は海からも感じられます。駐車場に車を止めてみると「流れてるね・・」
海岸まで出て海を確認。「このまま潜らずにボケーっとしていようかな?」とも思うが、また駐車場に戻って、無言でウエットを着て、ブーツを履いて・・・無意識のまま準備完了。エントリー口まで泳いでいける水深にホッとする。なんとなく左の耳が抜けにくい・・・ちょっと上に行ってもう一度耳抜き・・・OKだった。それからはゴクンと喉を鳴らすように息を飲めばポンと耳は抜けてゆく。良かった・・・

   途中「キツネアマダイ」と遭遇。その距離3m程、何故か見つめ合う。お互いに静止して真正面・・・
吹き出しそうになる。魚って真正面から見ると面白い。以前、パラオで「ツバメウオ」と真正面で見つめ合ったことがある。この時はさすがに笑いが止まらず、レギュレターを吹き飛ばしそうになり、笑いを堪えるのに苦しかった記憶がある・・・でも今日のキツネアマダイはそこまでの笑いはないものの、やっぱり目が離せない面白さがある。オブジャンはいつも何か面白いものを必ず提供してくれる・・・5月のオブジャンで会った大きなヤドカリの「宿次郎」今日は会うことが出来なかったが、やはり探してしまう・・・

   さて・・・根の上でカシラが進路を変えて違う流れに乗ろうとしたらしいが・・・私に異変が・・・
「ヤバイ!」実はこの数日、かなりの便秘で苦しかったので昨夜は「茎わかめ」を大量に食べていたのです。海藻の繊維と粘りが腸を活発にしたらしい。そして水圧が加わり・・・お腹が激しくゴロゴロ動きだした。さすがはカシラだ・・・お腹を押さえたわけでも何でもないが、カシラの姿勢が変わった・・・何かの対処をするような視線と姿勢・・・多分、私のマスクの下の表情に気がついたんだろう。私はカシラの水中ノートを貸してくれるようにジェスチャーをした。カシラはそれを出し私に渡した。私が水中ノートいっぱいに書いた言葉は・・・「ウ○コ」カシラは「帰る?」のサインを出した。私は首を横に振った。ここで出されてたまるか・・・せっかくの海なんだ。結局、沖に出る流れに乗らず、念の為になるべく岸に近いエリアで遊ぶことになった。緊急時の場合に備えて・・・

   一度フィンキックをすればゴロゴロ・・・落ち着くまでは動かない方がいい。白い砂の上で這いつくばって、ただただ青い沖を眺めていた。海の中でこんな姿勢をとるのは、カレイとヒラメと私ぐらいなもんだろう。しばらくすると落ち着いてきた・・・でも既に40分は経過している。帰路のコースをとりながら遊んでいた。でもカレイとヒラメ状態で私が見たのは、青いハナゴイのあくび。小さな体なのに、大きな口だった・・何で口を開けたのか?それはハナゴイに聞かないと分からないが、朝早かったせいもあったのであくびにしておきました。

   まぁ~そんなこんなで写真も撮れずでした。教訓:ダイビングの前日に海藻類の暴食は止めましょう。水圧とフィンキックの運動が加わり、科学反応を起こすがごとく速攻で襲いかかる変化を生じます。

   カシラも久しぶりのプライベートダイビングだったから、ゆっくり写真でも撮りたかっただろうに・・・
いきなり水中ノートに書かれた言葉に驚いただろう・・・ごめんよっ!

2009年11月2日月曜日

一生分、考えた。

   随分とまたサボってしまった・・・でも今回はサボって遊んでいたわけじゃないのです。
女将、真剣に考えていました。使わなくなったような脳を一所懸命使って(多分、数本のシワができたんじゃないか?)考えていました。でもやっぱり苦手分野・・・面倒になってしまう事もあり、投げ出したくなる事もあり、でもやっぱり考えていました。

   それは今月28日に導入される「連邦法」について・・・法律的はさっぱり分かりません。特にアメリカの法律は何も分かりません。でも常識的に考えれば、この連邦法の意味を少しだけ理解する事ができました。先日、フォーラムがありその内容を聞けば・・・決して正規の状態でこの島に住んでいる外国人労働者に対して厳しいものではありませ。でも一時帰国で日本に帰る時は面倒な事にアメリカ大使館に行って、サイパンの入国許可を取らなければいけないような状態になっています。(観光客の方々は今まで通りでいいんですよ。住んでいる私達にはめちゃくちゃ面倒だけど・・・)いろんな壁を作って、いろんなモノを乗り越えさせて、篩いに掛った者だけ将来的な希望が持てるような・・・そんなお話でした。でも実際には、現在の外国人労働者を救う為に今までには無かったアメリカビザのカテゴリーを作り、それを全ての外国人労働者に発行する。とゆう事なので、本人の意思があればこの島に残ることはできます。(期限付き)でも本来のビザ(何種類かありますが・・・)に適用される資格を持つ者であれば、申請して下さいとの指示も出ているようです。フォーラムではその資格者の条件が少し言われたようですが、実際には誰もが心配している事なので、ここで書く事を差し控えさせて頂きます。

   今までブログに何度も「連邦法」については触れてきましたが、実際に内容が分かりこれからサイパンに住む日本人は自分の人生観やこの先を含め、いろいろ考えてゆく時期になると思います。アメリカの統治サイパンは28日を持って終わるんだな・・・と。今月15日でサイパンに来て19年目。日々平凡な暮らしの中で、海や月は青空を眺めてコガシラを育てられたこと、北マリアナ連邦に感謝しています。