昨日飾ったツリーを点灯し、ほけ~っと過ごす今宵。寒いクリスマスが恋しくなります。
雪が降って、寒いけど・・・あぁ~クリスマス!って冬のクリスマス・・・・毎年、この時期になると決まって絶対に思う事がありますっ!(力入れ)下記の通り
北欧か寒い国に行ってクリスマスをしたい!サイパンを出たい!と・・・真剣に思うのです。
クリスマスは寒い方がいい・・・・と。今夜もクーラーを入れて寒いクリスマスシーズンをイメージ!!
サイパンに来て初めてのクリスマス。ビックリしたのは、サンタの人形の目が青かった・・・
黒じゃなかったことでした。当たり前か・・・・多分、アジアのサンタ人形の目が黒いけど、欧米もオーストラリアもサンタ人形の目が青い・・・・と思う。因みに、サイパンのサンタ人形はアメリカからやって来たのです。フィンランドじゃなかった・・・
2009年12月10日木曜日
クリスマスの夜話
2009年12月9日水曜日
クリスマスツリー
今日、クリスマスツリーを買いました。生もみの木です。生木を使うツリー・・・サイパンの家庭じゃ一般的のようです。この暑い島で寒冷地の木は大丈夫なのか?と思う方もいらっしゃると思いますが、大丈夫なんです。ちゃんと商品になっているんです。ってゆうのも、船で運ばれた生木は販売店の大きな業務用冷蔵庫かマイナス温度を保つコンテナかで保存され、定期的に店頭に運ばれるんです。
運良く、今回はその冷蔵庫の中から運びだしている時に生木を買いに行ったので、フレッシュそのものの生木をゲットできました。大きさは約2m程の生木です。森林のいい香りがするんです。お正月頃になると葉が茶色になってボロボロになってしまうのは、やはりこの南の気候だからでしょう。クリスマスツリーは年明けまで飾っておくのがこれもまた一般的のようです。
クリスチャンでもない私達・・・大家さんはパーフェクトなクリスチャン。毎週日曜のミサは欠かさずに家族で行っているし・・・私はクリスチャン系の短大に行っておりましたが、お見事までに「ミサ」の授業には1度も出席した事がない「なんちゃって・・・・」なのです。でも毎年、この季節になるとやけにクリスチャンが羨ましくなる。因みに私の実家は浄土宗だったかな?お盆前には必ずお墓参りをして、お盆の行事は盆提灯まで出して、精霊流しは手を合わせ「来年もまた来て下さいね」と言うぐらいの、バリバリ仏教徒。毎年の事ながら、ツリーの飾り付けをしている時に「なんで家はツリーを飾っているんだろう?」と思っています。
しかし綺麗ですよ。そう言えば・・・最近、日本でも家の周囲(屋外)にやたら電装をつけて綺麗にデコレーションをしているお宅を見ます。数年前、隣の市に住む友人が「そう言えば、よっちゃん(私)の近所に凄く綺麗に飾ってある家があるって聞いたよ。行ってみよう」って事になり、車で約7分ぐらいの所へ行きました。この家のある地区に入った途端、遠くに一カ所だけ妙に明るい空がありました。
「あそこだ!」すぐ分かる・・・まず最初に「わぁ~」と声が出てしまう。そして次にくる会話は「凄いね」
そして次の会話は「綺麗だね」、そして次の会話は「電気代いくらだろう?」「5万ぐらいするかな?」「もっとするんじゃない?」他人の家の事ながら、気になります。それぐらい凄い家があります。
情緒ある日本家屋、雅的な白木の玄関戸・・・ここで「お茶会」なんぞできたらいいな・・・と思う程の日本庭園に異国情緒溢れんばかりのクリスマスイルミネーション。この家の前に車が並ぶ・・・中にはカップルもいれば、孫を連れたおじいちゃん・おばあちゃんもいる。家族で来ている人もいる。
「観光バスでも入れたら?」と思う。2階の窓にはソリに乗ったサンタが手を上げ、玄関には何個もプレントの箱が置かれ、何故かミッキーマウスが横に立って笑ってる。かと思えば、庭中の木は電装のロープでみっちり巻かれ、松の木もモミジの木も南天の木も・・・やたら庭中に発光が強い電装の何かが置かれ、屋根から庭の松の木に向かってセスナ飛ぶ・・・これ全て電装です。この灯りで家の中丸見え
だからずっとカーテンがひいてあり、家の人は全く見られない状態・・・・今年もまた町の話題になっているんだろうな・・・因みに過疎が始まった私の地元では、このお宅をトップとして争うように年々このイルミネーション競争が加熱し、お年寄りの楽しみになっているようです。因みに、車の運転をする母は友達を数人乗せて毎年この時期になると、町中を廻りそして隣の市まで行き見学し、喫茶店で「あそこはどうだった」「ここはどうだった」と評価をしているようです。電気代は大変だと思いますが、何かいいですよね。みんなの楽しみってゆうか、なんか話題を提供して下さるって・・・
サイパンではまだ電気代の高値は続き、昔のように庭のイルミネーションをする。って事も殆ど無くなってしまいました。昔は小さい島ながらも貧乏な島ながらも、それなりに多くの家が庭先をクリスマスイルミネーションで飾っていました。だから何となく寂しい気もしますが、それでもキリスト教が主流の島・・・お店の生木はどんどん売れて、お店の駐車場から出てくる車の荷台や屋根には生木が乗せられ、家についたらみんなで飾りをつけて今年もクリスマスを迎えるのです・・・・
2009年12月8日火曜日
816
何の数字か分かりませんよね。これ、私の誕生日なのです。8月16日・・・
実はこの3つの数字に大きな意味があったのです。時は遡ること、約20年前・・・20代だった私は都内の旅行会社で働いていました。取引先の部長から接待に招待され、都内にある高級中華レストランへ行きました。マダム!って感じの60代オーナー女性の優しい笑顔に迎えられ、半ば緊張状態で席に着きました。部長とマダムは親しげに話しをしていたので、安心する部分もあったけど・・・
食事をしていると、マダムが挨拶に来て下さいました。日本語はペラペラだったのですが、発音はやはり外国人の日本語。マダムの代で日本にいらした事は聞くまでもなく分かる・・そんな感じでした。
美味しいお酒と料理で満足しているところにマダムとの話も盛り上がりました。何の話からか?マダムは私の「干支」を聞いてきたのです。「辰年です」と答えると急ぐように「誕生日は?」と聞かれました。
「8月16日です」と答えると、マダムは驚くような声を出して私の横に座りました。「もし、貴方さえ良かったら息子のお嫁さんになって欲しいの。台湾にも家があるし、沢山の土地もあるの。会社もあるし・・結婚してくれれば、貴方のものになるのよ」と露骨なまでの説明を受けました。部長さんもビックリ・・・
笑って誤魔化していると、マダムは「息子を紹介する」と言ってレストラン内にある事務所に呼びに行きました。息子さんに会いました。パーフェクトな日本語。なまりなど微塵もない・・・誠実そうで、真面目そうで・・・なかなかのハンサム。都内の某有名私立大学を卒業して、今は経営者として日本と台湾を行き来しているとの事でした。名刺交換をしました。まぁ~これで終わりだろう。と思っていましたが、会社に頻繁に電話があり、デートに誘われました。バブリーな時期もあり、忙しい毎日だったので結局は個人的に会う機会を得ることもできず、終わりました・・・・
それからとゆうもの・・・「どうして干支と誕生日で台湾の資産家の嫁候補に上がったんだろう?」とゆう不思議はこの20年間の疑問でした。台湾や中国では「龍」は神様である事は知っていました。
「8」とゆう数字も縁起が良い数字として大好きである事もサイパンに来て知りました。とゆうのも、中華系の人の電話番号って「8」が入っていると聞いた事があります。「8」の取り合い?それでなのかな?と思っていました。が・・・昨夜、台湾の方に聞くチャンスがあり説明を受けました。
「辰」は神様。数字においては、1=「発展」を示す。8・6=「永遠」を示す。この3つの数字が揃っている事でその人は貴方をお嫁さんに欲しかったんだろう・・・との事でした。1と8と6の3つの数字が揃う事が最高な数だそうです。誕生日にすれば、6月18日と8月16日がその3つの数を使った誕生日になるからマダムも息子さんも力入っていたんだぁ~と思いました。それでもって「辰年」・・・
なるほどね・・・
しかし、誕生日の数816で結婚を決められたら「愛」とか「恋」とかそうゆう物は後回しですか?
と問いたくもなるなぁ~と思う反面・・・「愛があってお金があれば最高だけど、愛があってお金がない。とゆう条件と、愛がなくてもお金がある。とゆう条件だったら、どっち選ぶ?」と聞かれると、即答できない今の自分がいるのも確実である。20代の時は「愛があれば、お金なんて・・・」と豪語していた私に姉は真っ向から否定していた。姉は結婚が早かったから、かなり現実的に物事を判断していたのです。
今になって姉の気持ち、よく分かる。
でも「辰年、816」は台湾でのお話。サイパン・日本じゃ御利益はないようです。
っで・・・カシラ、モノは相談なんだけど・・・この際、台湾にオーシャンクラブを作る気はありませんか?
そしたら「辰年 816」はかなり有効かも?その時は、私を「床の間に飾る」なんてチンケな事は言っていないで「神棚に飾る」ぐらいでお願いします。
2009年12月6日日曜日
クリスマスシーズンですね・・
この頃、サイパンはクリスマス雰囲気でいっぱいです。ドーナッツのお店に入れば、緑・赤・白を主体としたカラフルなトッピングのクリスマスホリデーヴァージョンドーナッツ発売中!近頃、連邦法に右往左往している外国人労働者及び配偶者もこの時期はクリスマスソングやデコレーションに少し心和まされ、私は先日コガシラのヘアーカットに付き合い、待っている間に足のお手入れ。踵の角質取り&ペディキュアをしてもらいました。ペディキュアの色を選ぶ時、やっぱりクリスマスカラーでしょ!って事で、赤は普段でもつける事があるので、緑にしました。緑の上にラメ・・・クリスマスツリーに負けない指です。
今年は何かと心配事も多かったので、クリスマスはド派手にきめたいと思っています。
水曜には「もみの木」(生)を買いに行く予定です。家の隣のおねえさん、玄関のドアにクリスマスリースを飾りました。「あ!もうこんな時期なんだ・・・」いつもは、ターキーを食す11月下旬のサンクスギヴィングを待ちかまえ、それが終わるとすぐにクリスマス準備。毎年、この頃は既にツリーも飾ってあるのですが・・・やはり今年はこの連邦法でそこまでの余裕が無かった・・・いけない。いけない。
さて・・・そろそろ寝るとするかな?
2009年12月2日水曜日
ロゴからメニューまで
数年前、扇風機を買おうとしました。店頭に並んでいる扇風機・・・遠くから見ると製造会社のロゴマーク・・・見覚えのある日本の大手家電メーカーのロゴ。「え!これで20ドル?」ロゴを凝視しながら、扇風機に近づくにつれ何か違和感・・・だんだんはっきり見えてくる見覚えあるロゴの1文字1文字・・・
「TOSHIBO」ってどこ?
やはり数年前、店頭に並ぶ加湿器。高温多湿のこの島でこれ以上湿気を増やしてどうする?と思いますが、風邪をひいた時にはクーラーを弱くかけて加湿器をかけるわけです。風邪が流行るシーズンでもあったのか?何台か置かれていました。やはりそこにもメーカーのロゴ。見覚えある日本大手家電メーカー・・・「やや!」と一瞬目を引くが「まてよ。扇風機でアッパレ!だったからな・・・」またロゴを凝視しながらこのオチを大いに期待し近寄って行くと・・・・「MITSUBOSHI」って何?
MADE IN CHINA しかし、凄いね。文字の書き方もデザインも同じ・・・字の角度と言いましょうか?流れと言いましょうか?もう楽しくなって、お店に並ぶ家電メーカーのロゴを全て観察したい気分になりました。
今年、カシラが日本に帰った時・・・キャリーバックをもう1つ買おうとゆう事になりました。
サイパンの・・・サイパンにとってはデパートのお店に行ってキャリーバックを見ました。カシラが「あ!あれ良さそうじゃない」と言いました。「本当だ、いいじゃん。あれ・・・あれにすれば?」と私。2人で近寄って行くと「え!なんでこんな所にこんなのがあるの?」そこにも確かに見慣れた男性ブランドのロゴマーク。お得をした気分少しとオチ狙いの大きな期待を込めて、ロゴを凝視しながら近寄って行くと・・・これもまた1文字1文字確認できるようなる。と同時に違和感を感じ始め、最終的にそのオチに笑う。例のパターンだ・・・男性ブランドロゴとそっくりな「DUNHILLIA」って何?やはり上記と同じ製造国でした。
因みに昔たまに行っていた焼き鳥屋さんならぬ「羊串肉」屋さん・・・韓国の方が経営していたのですが、日本語メニューの中に「きのうの炒め物」と書いてありました。多分、「今日の炒め物」とゆう事だったのでしょう。大きく意味が違うし、健康上大きな誤解も招きます。
また違う焼き肉屋さんの窓ガラスには堂々と「雌牛1匹」と書いてありました。「雌牛1匹」ってどうゆう意味?想像すると恐ろしい・・・ホテルが立ち並ぶ通りの前にお土産屋さんも並んでいます。日本語で書かれた看板「高級品・ブランド・激安・アウトレット」「?????ここは一体何を売ってるの?そして何を売ろうとしているの?何を買えばいいの?高級品?ブランド物?激安商品?アウトレット?」日本で今使われている言葉を全部並べてのお店。中を覗くと「SAIPAN」って書いてあるTシャツだったりとか・・・SAIPANのお土産です!って肩肘張っているような商品だったりとか・・・
最近、発見した看板。ご存知の方もいらっしゃいますよね?興味惹かれましたよね?「行ってみましょうか?」って男性達は盛り上がっていましたよね。飲み屋さんらしき看板・・・「Blue koi」看板にそう書かれて鯉の絵もありましたよね。鯉の絵を見たら普通は「CARP」でしょ?「BLUE CARP」でしょ?
でも何故に「BLUE」は英語で「KOI」は日本語読みのコイで・・・鯉の絵なの?何か妙に違和感があるけど、男性が見たら気になる看板?居酒屋さんっぽいような看板だけど、意味深な看板ね。
2009年11月30日月曜日
先生part4
保育園~短大まで「先生」「教授」なんて呼び名も変わってゆくわけですが、私が絶対に忘れられない先生は高校3年の時の担任。年齢は50代。学年主任もやっていて、現代国語の先生でした。腰が悪く、いつも足を引きずってゆっくり歩く。夏になると薄いシャツにうつるコルセットが痛々しかった。
あの頃、我が家では入浴剤をよく入れていたのですが、安売りがあって母が入浴剤を2缶買いました。そこにおまけがついていたのです。プラスティックの細い棒を動物の形をしたオモチャに差し込み、引っ張り手放すと動物のオモチャが勢いよく走ってゆくオマケでした。それを学校に持って行き、親友の優子に1個渡し遊んでいました。ある日、自習時間がありました。2人で廊下に出て、そのオモチャを走らせていました。全てのクラスは授業中だから、廊下は誰もいなしシーンっとしています。すると隣のクラスの戸が開き、誰かの足が出てきてその足に動物のオモチャが当たり止まってしまいました。
ヤバイ!担任の先生が隣のクラスで現国の授業をしていたのです。先生は「また芳子と優子か・・後で職員室へ来い。廊下でシャーって音が聞こえるから何かと思えば・・・なんだこれ?」と取り上げられました。仕方なく、職員室へ。先生がこっちを見ていました。先生の前に立つと「お前らさ、いくつだ?こんな幼稚園の子が遊ぶようなオモチャを学校に持ってきて、しかも自習時間に遊んで・・・」とゆうような内容を約5分ぐらい言われ、オモチャを返してくれました。
この先生は1ヶ月に1度、席替えをさせてくれましたが私と優子だけは1年間席替えをさせてもらえませんでした。教壇の前から3番目の真ん中。私達は1年間、席替えをさせてもらえる事もなく、他の子が席替えをしているのを見ていました。血は争えないってことで、なんとコガシラが今、その状態になっています。親友の優子は本当に絵の上手な子でした。東京の美大に進学したかったけど、家庭の事情で地元から離れることができませんでした。彼女はいつも言っていました「これからはね、CGの時代なんだよ。私はCGの勉強をしたいけど、大学って名前がつく所では東京しかないんだよね。名古屋になると専門学校にならあるんだけど・・・これから映画にもどんどんCGが入ってくるよ」と・・・もう30年近く前のお話です。今なら「CG」ですぐ分かるけど、当時は「何それ?」とよく言っていたものです。彼女が説明する内容が全く理解できなかったのです。彼女はCGの勉強をすると言って、名古屋の専門学校を希望しました。彼女は言いました。「どうする?どこの学校にする?」将来の夢も無かったし、希望する学校も無かった。優子が「私が行く専門学校は他にもいろんなコースがあるんだよ。一緒に学校通いたいからさ、その専門学校行こうよ」と言った。「いいよ」簡単な気持ちで言って、優子が取り寄せた学校案内を見てどこのコースにしようか?と悩んでいました。三者懇談の日、担任の先生の開口1番「お母さん、こいつ優子と一緒に学校行きたいからって理由で優子と同じ学校へ行こうとしています。優子は自分の夢があって、名古屋の専門学校にそれを勉強するコースがあるって事でそっちへ行くんです。でもこいつは何の目的もなく、仲良しコンビで行こうとしているんです」「でも行きたいんです」「分かった。お前が行くって言うなら、先生は内申書は書かない。将来何になりたいんだ?」「分かりません」「先生にならないか?先生はいいぞ・・・」「先生にはなれません」「やってみなきゃ分からないじゃないか・・・」結局、仲良しコンビで進学したら内申書書かないの脅しに負けて、優子とは違う学校へ・・・もし、あの時に先生が本人が希望しているから、コースが決まってなくても行きたいなら行けばいい。とゆう作業的な気持ちでいたなら、今の私はサイパンに居なかったと思います。こうゆう体験は出来なかったと思います。また違った体験があったのかもしれませんが、私は今まで経験した人生に悔いはありません。だからこの人生、凸凹が激しくても好きなのかもしれません。
感謝です。先生に感謝です。今、どうしていらっしゃるんだろうな・・・時々、先生の事を思い浮かべます。最初の頃は年賀状のやりとりをしていたのですが、それからどんどん疎遠になってしまった。
忘れられない事があります。先生達の球技大会があった日。午後から学校が休みになりました。
先生は腰を悪くしていても、女子バレー部の顧問でした。なんと・・・その日、バレーコートに先生がスパイカーの位置で立っているではありませんか・・・目が点・・・先生はジャンプして背中を逆エビ状態まで曲げて凄いスパイクを打っていました。試合が終わり、先生はコートから出て来ました。やっぱり、足を引きずりながらゆっくり歩いて出てきました。どっちが本当なんだ?
今でも頭の中で先生の声が聞こえます。「こらっ!芳子と優子!」って・・・有り難うございました。
芳子は元気でやっています。先生のご恩は一生忘れません。
先生part3
会社の前を行ったり来たりする人物。3人目の先生でした。呼び止めると先生はニッコリ笑って「XX先生から聞いたよ。ここにいるって・・・じゃぁな・・・」っておいおい・・・見に来ただけかよぉ?「先生!逃げなくてもいいじゃないですかぁ~」「ちょっと来ただけだから・・・」ジャージ姿で去って行った。新婚旅行じゃなかったのね?
会社の先輩は「また高校の先生?」「そうなんです」お腹を抱えて笑われました。恥ずかしいやら、嬉しいやら・・・でも懐かしかったし、卒業しても恩師と教え子って関係はいいもんだな・・・と思いました。その当時は「ちぇっ!先生なんかさぁ~」と友達と話していたりしたけど、卒業して同じ社会人になると先生が恩師になって、対等に話してくれる。そして何かいつでも見守ってくれるような・・・温かいものがあると感じる。本当は高校時代からも先生達はそんな気持ちで見ていてくれたんでしょうけど、やはり私達は生意気言っても子供でそんな先生達の気持ちを知らないでいて、アドバイスを注意とか勘違いしたり・・・後になって分かる違った意味での親心のようなものを感じました。
この去って行った先生は日本史を教えてくれていました。私の親友で絵がめちゃくちゃ上手な子がいました。私の日本史の教科書に載っていた「源頼朝」の顔に狸の落書きをしたのですが、それを先生が見て大笑いして絵の上手さを誉めていた。笑いながら「絵は上手いけど、教科書だからな・・・」と言っていました。親友と酸っぱい飴を口にいっぱい入れて笑わせ合いをしていたら先生に「じゃここ、読んでくれ」と言われて、ニッコリ笑った私に「な、飴なんか舐めていると本も読めないだろ?」と言った。まったく話さない私に「口開けてみて、どれだけの量を入れてるんだ?」口を開けたら、これも大笑いされた。
「お前な、女の子なんだから・・・」その時に、この先生の授業は絶対に真面目に受けようって思ったのです。卒業間近、最後の日本史の授業で先生がこんな事を言いました。「本当に小学生みたいな君達だったな・・・特に芳子、優子・・・」「でへへへ」「やっと離れることができるかと思うと今晩からよく眠れるよ。先生は大学を出てここに来て、最初の生徒だった。ずっと忘れない。君達が先生を忘れても先生は忘れない。ありがとう」って最後は涙声で、目を真っ赤にして走って教室から出て行った。私と優子は先生を追いかけた。そして何人かの生徒もやってきて、ずっと先生の側にいた・・・何か青春ドラマみたいだけど、実際にこうゆう事ってあると思った。今思うと恥ずかしいけど、私達も胸に込み上げるものがあったんですよね。
先生のあだ名は先生の名字にカッパを付けた「XXガッパ」私と優子がつけたあだ名でした。
先生、卒業の名台詞を残してそのままだったら「尊敬」の先生だったのに、会社の前でウロウロして、それも白昼堂々とジャージの上下はないんじゃない?もう・・・でも有り難うね・・・最初に気がついた時は猿かと思ったよ。あだ名改名させてもらいます。「XXザル」って・・・
